アルコール・薬物・その他の依存問題を予防し、回復を応援する社会を作るNPO法人「ASK(アスク)」の情報発信サイト

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手記

件数:25
  • https://www.ask.or.jp/article/1048
    井上保孝・郁美 私たち夫婦は、1999年11月、東名高速道路で起きた酒酔い運転の大型トラック事故によって、長女・奏子(かなこ、当時3歳)と次女・周子(ちかこ、同1歳)を目の前で亡くしました。 長年飲酒運転を常習にしていたトラック運転手に、2000年6月8日の判決公判で言い渡された刑は懲役わずか4年。…
  • https://www.ask.or.jp/article/1045
    鈴木 共子 飲酒・無免許・無車検の暴走車に一瞬にして奪われた息子の命 2000年4月9日。 あの日から私は予想だにもしなかった人生を生きることになりました。 桜の花が最初の花びらを散らせる中、私の生きる希望であった一人息子、零(19才)と友人(19才)のふたりを、飲酒・無免許・無車検の暴走車が一瞬に…
  • https://www.ask.or.jp/article/1042
    椋樹 立芳 追突されて焼死したのに、「加害者」と言われた息子そして、その間違いを悪用した「市民派」弁護士たち 1990年3月17日、息子の裕之は、一家だんらんの夕食後「明日の朝早く仕事で行くから、寮に戻る」と言って天空へ旅立ちました。「安全運転で行けよ」といったら、彼は「わかっとるよ」と、いつもの笑…
  • https://www.ask.or.jp/article/1039
    大久保 恵美子 お母さん、遅かった 夜中の12時頃、警察から電話があった。「亨さんはおたくの息子さんですか。事故がありまして…」 あとでまた連絡するといって、電話は切れた。不安でたまらず、事故現場の警察に電話をかけ、やっとのことで病院名を聞き出して向かった。 午前1時に病院に着いた。入り口にはパトカ…
  • https://www.ask.or.jp/article/1034
    バス運転手 T・A 建設会社のトラック運転手をしていた頃に、酒を覚えました。 29歳で転職しバス運転手になりましたが、シフト勤務になじむのが大変でした。早番のときは朝4時半に起きなければなりません。「もう9時だ、寝なければ」と思っても、なかなか寝つけず、酒をひっかけて眠りました。しかし夜中に目覚めて…
  • https://www.ask.or.jp/article/1031
    S・N 私が運転免許を取得したのは、今からおよそ40年前、高校を卒業して就職したときである。当時私の自宅は片田舎にあり、交通の便が悪くて、会社まで20キロの道のりを車で通勤していた。仕事は営業職で酒はつきものであり、20歳の頃から平然と飲酒運転で帰路につくようになったが、罪悪感もなく、それを咎め立て…
  • https://www.ask.or.jp/article/1023
    甘かった認識 私は、ある愚かな交通違反――飲酒運転――を犯し、その報いを受けて、現在絶望と失意の日々を送っております。 お酒を飲んでも自分は運転がうまいし、酔わないから運転しても事故さえ起こさなければ大丈夫……そんな風に考えることが恐ろしい過ちであることを、私は身をもって知りました。アルコールの影響…
  • https://www.ask.or.jp/article/568
    意識不明の「コンパ長」は、なぜ放置されたのか? 2012年7月27日、東京大学二年生の高原滉さんがサークル「グリーンテニスクラブ」のコンパで大量に飲まされた末に放置され、亡くなった事件。ご両親が学生二十一名の責任を問う民事訴訟が始まっている。 原告代理人は山本雄一朗弁護士(ASK運営委員) ■このサ…
  • https://www.ask.or.jp/article/567
    熊本大学医学部漕艇部の新入生イッキ飲ませ死亡事件 <高裁逆転勝訴までの経緯> 原告代理人 浅野晋(弁護士) 事案の概要 【1】背景事実 ◆平成11年4月、吉田拓郎君は熊本大学医学部に入学し、漕艇部に入部した。拓郎君は昭和54年5月29日生れであり、本件事件当時20才になったばかりであった。 ◆平成1…
  • https://www.ask.or.jp/article/566
    何故訴訟に踏み切ったのかーー私達の気持ち (訴状に添えられたご両親の手紙) 私達の長男、拓郎は、念願の熊本大学医学部に入学し、希望に満ちあふれていました。もうすぐ自動車学校にも通うはずでした。夏休みには屋久島にキャンプに行く予定を立てていました。あの6月5日の漕艇部新入生歓迎コンパがなければ、そこで…