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目次
 
寄稿 息子の死をむだにしないで
加来 仁さん(イッキ飲み防止連絡協議会 前代表)
1991年10月6日の朝、息子・聡は病院へ運ばれる途中で息を引き取りました。死因は急性アルコール中毒による急性心不全。19歳でした。
検死に立ち合った警察官から、「動かすと口から酒がこぼれ出た」と聞かされました。
息子は中央大学1年生でした。スキークラブに所属していました。身長181センチ、体重73キロ、中学、高校を通じて運動部に所属し、キャプテンも務めていました。負けん気が強く、まっすぐな性格でした。
その夜は、東京大学検見川寮で、東京地区六大学のスキークラブ運動会の前夜祭コンパが行なわれていました。80人が集まっていました。女子が3分の1ぐらいいたと聞きます。
寮の廊下で乾杯をし、1年生は先輩たちの部屋を回る、慣例のあいさつ回りに向かいました。最後に幹部の部屋に行き、酒、ウイスキー、焼酎をストレートでコップに注がれました。先輩や女子生徒がはやしたてるなか、イッキ飲ませもあったといいます。友人によれば、息子は日本酒4〜5杯とウイスキー4〜5杯にあたる量を飲まされたとか。立ち上がろうとしてその場にひっくり返り、トイレで吐き、つぶれてしまいました。
息子のほかにもつぶれた1年生が出たようです。「1ゲロ、2ゲロ、3ゲロ」などという言葉もあったくらいで、要するに「あいさつ回り」とは、1年生を酔いつぶすための慣例行事だったのです。 息子は運び込まれた部屋で大いびきをかいていました。そのため、ぐっすり寝ているものと思われてしまったのですが、この大いびきが実は危険な状態を示す兆候だったのです。
翌朝になって、ゆさぶって起こしても反応がないので、先輩たちが相談の末、部のワゴン車で救急病院に運びこんだのが8時30分。その時にはすでに息がありませんでした。


周囲の無知がまねいた死
なぜ一刻も早く救急車を呼ばなかったのか――適切な処置をしていれば、助かった命ではなかったかと、何度口惜しく思ったかしれません。
事が大きくなるのを恐れてためらったこともありましょう。しかし、それ以上に、若者たちが大量飲酒の危険について無知だったこと、「ゆさぶって起こしても反応がない状態」が昏睡という命にかかわる危険な状態だとの認識がなかったことが原因ではなかったでしょうか。
病院に運ぶことにしたのも、「月曜の授業に二日酔いではかわいそう」と考えたからだというのです。まさに死につつあった息子を前にしての、このおそまつさに、寒々しい思いがします。


誰も知らなかった「致死量」
事件の後、医学書を調べて、アルコールに「致死量」があることを知り、愕然としました。普通の人が、ウイスキー500cc以上を一度に飲むと致死量となりうる、とありました。
酒のあふれる社会で長年生きてきた私が、こんなことも知らずにいたとは。弔問に見えた学校の先生方にも、知っているか、と一人一人確かめずにいられませんでした。誰も知らないのです。学校ではタバコの害は教えますが、人生のなかでつきあう機会の多いアルコールが、飲み方によっては死にもつながる薬物であることを教えていません。こんな落とし穴を見過ごしていた国に対して、裁判でもしなければ納まらない気持ちです。
イッキ飲みは、一時のようなマスコミでの流行はすぎさったものの、大学のサークルのコンパで、会社の新入社員歓迎コンパで、依然として行なわれています。息子の死後、同じような悲劇がたくさん起こっていることを知りました。
どうかみなさん、多量のアルコールをイッキ飲みするのは自殺行為であり、イッキ飲ませは殺人行為であることを、あなたのまわりのひとりでも多くの方に伝えてください。
息子の死を無駄にせず、これ以上犠牲者を出さないために。
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