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目次
 
イッキ飲ませで失われた若い命
大阪府出身、中央大学1年生(19才・当時)加来 聡(かく さとし)さんの場合
聡さんは当時、中央大学スキークラブに所属。1991年10月5日、東京大学検見川寮で、東京地区六大学のスキークラブ運動会の前夜祭コンパが行なわれた。先輩に酒、ウィスキー、焼酎をストレートで飲まされた。日本酒コップ4〜5杯とウィスキーコップ4〜5杯くらいは飲まされたと推定される。イッキ飲みもあったらしい。聡さんは立ち上がろうとしてその場にひっくり返り、トイレで吐き、いびきをかいて寝てしまった。翌朝、ゆさぶっても聡さんが起きないので、先輩たちが相談の末、部のワゴン車で救急病院に。到着した午前8時30分、すでに聡さんの息はなかった。死因は急性アルコール中毒による急性心不全。


→聡さんのお父さんの寄稿

神奈川県出身、日本大学2年生(20才・当時)T・Sさんの場合
1985年9月16日、日本大学ハイキング同好会のキャンプに遅れて2次会から参加したために大量に飲まされ、救急車で病院へ搬送されて入院。ご両親が夜中に駆けつけた時は意識がなかった。その後8年もの間、一度も意識が戻らないまま、転院を迫られて病院を転々とし、1993年10月14日に神奈川県秦野市の病院で亡くなった。
大阪府出身、同志社大学1回生(19才・当時)山口 倫弘(やまぐち ともひろ)さんの場合
1995年5月13日、同志社大学テニスサークルの新入生歓迎コンパで、倫弘さんはイッキ飲ませのあとサークルの「毎年の恒例行事」である鴨川入水を強要される。前日、前々日と大雨洪水警報と増水注意報が発令されており、川は増水して流れも早くなっていた。泳げない倫弘さんは入水を拒否したが、2回生に引きずられ一緒に落下。2回生は助かったが倫弘さんは流され、レスキュー隊により引き上げられたが溺死。


倫弘さんのご両親は、1996年9月に学生9名を提訴し、1997年10月に全員との和解が成立。学生たちは責任を認めて謝罪、全員で合計500万円の損害賠償金を支払うことに同意。
→倫弘さんのお母さんがまとめた詳報

静岡県出身、専修大学1年生(21才・当時)石谷 直之(いしたに なおゆき)さんの場合
1995年6月24日、7つの大学の学生から構成された旅行サークルの新入生歓迎合宿が、山中湖で開かれた。1年生は会場に入ってから焼酎を飲まされることを知る。「どんどん飲んで、どんどん吐いて...」「3年に注がれた酒は断わるな」などの言葉によるプレッシャー。3年生5人が1年生をつぶす目的で「イッキ」音頭をかけながら、ストレートの焼酎を飲ませた。直之さんは早いうちに倒れ(おそらく宴会開始後10分から20分程度)会場とは別の部屋に運ばれてそのまま放置された。直之さんの飲まされた量は不明だが、旅館が提供した焼酎の量から換算すると、1人あたり0.9リットルにもなる。死亡推定時刻は24日午後11時30分だが、救急車要請は25日午前0時40分。命を救うチャンスを何度も見逃したため招いた死だった。死因は急性アルコール中毒による心不全。直之さんの両まぶたには引っかき傷が。「苦しんでもがいた跡ではないか」(お母さん談)
直之さんのご両親はその後、1年間かけて合宿に出席した学生全員と会い、話を聞いた。先輩からの圧力もあり、1年生に会うのも難しかったが、各々の体験などを語った。これらの話をまとめ、明らかになった事実をもとに、ご両親は飲ませた2、3年生5人に対し、飲酒の強要による直之さんの死亡への責任を認めた上での謝罪と、1人500万円の損害賠償を求め、1997年1月までに全員との和解が成立した。


→直之さんのお母さんの手記

広島県出身、早稲田大学1年生(19才・当時)向井 大輔(むかい だいすけ)さんの場合
大輔さんが入っていた学生寮「和敬塾」には「上級生が下級生を誘う。上級生からお酒をすすめられたら断われない。グラスに残っているお酒を飲み干してから注いでもらう」という“伝統”があった。1995年7月5日にも寮の一室で、いつものように飲み会が行なわれていた。午前1時40分に、大輔さんが誘われて参加。すでにほとんどの人が酔っており、イッキの強要や全員での乾杯が続く。大輔さんは40分でつぶれ、自室に運ばれた。明け方、大輔さんの部屋をのぞいた学生が異変に気づき、救急車を呼ぶ。死亡推定時刻は午前4時頃だったという。「和敬塾」では同年7月、『和敬---向井 大輔追悼号』という冊子をまとめ、この中で酒の無理強いやイッキの強要を禁じる「飲酒のルール」遵守を宣言している。また同追悼号には、お母さんが大輔さんを悼む短歌が巻頭に綴られている。
→大輔さんのお母さんが詠んだ短歌「イッキ飲ませで逝った我が子へのうた」
大阪府出身、三井物産新入社員(24才・当時)牧野 拓之(まきの ひろゆき)さんの場合
1995年4月8日、三井物産の寮での新人入寮歓迎会の席上、8人の新入社員は15人の先輩から「伝統」に従い、優勝カップになみなみとついだビールを順番にイッキ飲みさせられた。しかし拓之さんだけがビールにウィスキー丸々1本を混ぜたもの(約3リットル)だった。この数日前に行なわれた飲み会で、拓之さんが飲める体質であることは先輩に分かっていたが、「でも、ウィスキーはダメなんですよ」ともらしたことを覚えていた先輩が、拓之さんの時だけ故意にウィスキーを混入したという。非常に悪質なケース。「前の2人はビールだけのやつさえ飲めなかった。それで2人の分も飲め」と言われ、大いにはやしたてられて、拓之さんは一息に飲み干し、そのままこん倒。風呂場へ連れて行かれるが、吐くこともできず意識も全くなかった。救急車が呼ばれたのは午後8時50分。救急隊到着時にはすでに拓之さんの心臓と呼吸は停止状態。いったん病院での電気ショックで心臓は動き始めたものの、自力呼吸はできず、人工呼吸器をつけたまま。「私たちが病院にかけつけると、先生から“社会復帰はできません”と言われました。CTスキャンを見せてもらうと、脳は通常の半分くらいに縮み、まっ黒になっていました...(お父さん談)」。入院して6日後の4月14日に亡くなった。
その後、三井物産側は管理責任を認め、遺族に口頭で謝罪し、約9千万円の損害賠償金を支払った。


千葉県出身、千葉大学1年生(20才・当時)平賀 丈裕(ひらが たけひろ)さんの場合
1996年4月18日、千葉大学オリエンテーリング部の新入生勧誘コンパで、丈裕さんは上級生から酒を注がれ飲まされ死亡。丈裕さんの血中アルコール濃度は致死量に近く、大量の酒を飲まされたということが判明。希望の学部に入学してわずか11日目だった。丈裕さんは1人息子。
千葉大学はその前年、「コンパなどで飲酒を強要した場合は厳重な処分を科す」という学長通達を出していたが、大学の調査では「(酒の)強要はなかった」と学生の処分を見送った。しかしご両親は釈然としない。学生と会って話を聞きたいと大学に申し入れても、「職員立ち会いのもと学内で会うなら」という条件つき。「遺族に追及されると学生の精神的ショックが大きく、教育上認められない」(千葉大副学長談)という。
→丈裕さんのご両親の手記


愛知県出身、大同工業大学2年生(21才・当時)青山 智英(あおやま ともひで)さんの場合
1996年5月19日、大学内の学生食堂でユースホステル部の現役学生とOB約30人がコンパを開催。参加者は智英さんに、大量に飲ませればこん睡状態に陥ることを知りながら、大声であおって日本酒と焼酎のブレンド計2.5リットルを立て続けに飲ませた。死因は急性アルコール中毒。あらかじめバケツまで用意して泥酔状態にする「伝統」だった。
ASKはイッキ飲み防止連絡協議会ほかと連名で同年7月4日、容疑者(飲ませた者)を特定せず、傷害致死罪と傷害現場助勢罪(くわしくはイッキ飲み法律学をご参照)で、愛知県警に対し、イッキ飲み関連では初の刑事告発を行なった。しかし、同年12月9日付で県警は「犯罪として立証は困難」との意見書をつけて学生ら30人を書類送検したにとどまった。同県警の見解は「(1)被害者は自分の意思で飲み、暴行や脅迫はなかった(2)飲んだ酒を吐くための水やバケツを用意していた(3)大学祭打ち上げでのイッキ飲みが20年以上もサークルの慣習だった」という点を根拠に、「同席者が故意に青山さんが死に至るまで飲ませたとは認められない」というもの。告発人の1人である浅野 晋弁護士(ASK運営委員)は「(1)サークルの慣習・伝統というのは明らかな心理的強制。ほとんど飲めない体質の被害者が2.5リットルもの酒を自由意思で飲むはずがない(2)吐くための用意をしていたことこそが、逆に傷害致死の刑事責任を問う根拠となる(3)『20年以上の慣習』なら、さぞかし心理的強制が強かったと考えられ、イッキによる急性アルコール中毒の実態も十分把握していたはず」と、県警見解の矛盾点を指摘している。
1997年12月に名古屋地検は、容疑者を「不起訴処分」とした。

熊本県出身 熊本大学1年生(20歳・当時) 吉田拓郎(よしだ たくろう)さんの場合
熊本大学医学部1年生・吉田拓郎さんは、医学部学友会漕艇部の新入生歓迎コンパ(二次会)に参加、医学部上級生とOB医師から焼酎の「バトル(早飲み競争)」を次々としかけられて、1時間ほどの間に25度の焼酎を8合以上飲まされ、つぶされた。名前を呼んだり頬を叩いたりしたが反応がなく、昏睡状態に。5年生が救急病院に連れて行くように指示したが、運転手役の学生は病院ではなく事前に準備してあった「つぶれ部屋」に運んでしまった。1999年6月6日早朝、20歳になったばかりの拓郎さんは急性アルコール中毒による吐物吸引窒息で亡くなった。
兵庫県出身 神戸学院大学2年生(20歳・当時) T.W.さんの場合
2008年3月12日から14日まで、神戸学院大学ユースホステル部恒例の春合宿が大学の宿泊研修施設で行なわれた。
3月13日夜の宴会で、引退した3年生男女8人が、2年生男子13人を一列に並べ、ペットボトル4Lの焼酎の回し飲みを指示。ひと回りしても飲みきれなかった残りの500mlを飲み干した男子学生(20歳)が、気分が悪くなって意識を失ったが翌朝まで放置に近い状態だった。
翌朝午前7時半頃、非常に大きないびきをかくなど様子がおかしいため、病院に運ぼうと軽自動車のリアシートに運び入れた際、呼吸が弱くなったことに気づき、やっと119番。病院に運ばれたが手遅れだった。
死因は急性アルコール中毒を遠因とする吐瀉物による窒息。
→お父さんの手記

東京都出身 立教大学1年生(20歳・当時) 村田英貴さんの場合
2012年3月3日、立教大学のテニスサークル「ラ・ポーム」の春合宿の打ち上げが行われた。1年生の村田英貴さんは、恒例の「ワンカップ大関」イッキ飲みを皮切りに大量に飲酒。酔いつぶれ、午前1時ごろ、友人によって就寝部屋に寝かされた。
翌朝、英貴さんの様子がおかしいのに気づき、119番に通報。救急車の車内で人工呼吸と心臓マッサージ、吐寫物の吸引が行われた。病院に搬送されたがその後一度も意識を回復することなく死亡した。
→経緯と両親の手記
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