| 飲酒運転は「過失」なのか? |
| 私たち夫婦は、1999年11月、東名高速道路で起きた酒酔い運転の大型トラック事故によって、長女・奏子(かなこ、当時3歳)と次女・周子(ちかこ、同1歳)を目の前で亡くしました。 長年飲酒運転を常習にしていたトラック運転手に、2000年6月8日の判決公判で言い渡された刑は懲役わずか4年。 判決文の中では、「3歳と1歳という幼さで突然の炎に命を奪われた苦痛の大きさは計り知れない。この種の事件としてはことのほか悪質で刑事責任は重大」とされながら、求刑された5年より1年も減刑されました。 その後、このいわゆる「八掛け判決」を不服として検察が異例の控訴をしましたが、判決は覆りませんでした。2001年1月12日、東京高裁は控訴を棄却し、トラック運転手に対する懲役4年という実刑が確定しました。 |
事故の加害者は、トラック運転手という職業ドライバーでありながら、十数年も前から「寝酒」と称した飲酒をした上でハンドルを握ることを繰り返し、数年前からは昼食時にも酒を飲むようになっていた、飲酒運転の常習者でした。 事故当日も、昼食休憩に立ち寄った海老名サービスエリアで、高知―大阪間のフェリーを下船する際に購入した缶入り焼酎(250ml)を飲んだだけでは飲み足らず、フェリー内で飲み残してトラック内に持ち込んでいたウィスキー(約280ml)を2回に分けてストレートで飲み干し、1時間仮眠をとっただけで運転を再開。酩酊状態で30分間も高速道路上で三車線をまたぐような蛇行運転したために、それを目撃していた11人ものドライバーから「危ない車がいるので、何とかならないか」という、通報をされました。さらに、トラック運転手は通過した料金所の職員から「ふらついているので休んだ方がいいのでは」と言われましたが、「風邪だけど、薬を飲んだから大丈夫」と応え、運転を再開し、そこからさらに5キロ先にいた私たちの車に追突したのです。 当時、三女の典子がお腹にいた郁美は、運転席から自力で脱出。子ども達の寝ていた後部座席はすでに猛火に包まれ、近寄ることもできませんでした。助手席にいた夫・保孝は、奇跡的に助け出されましたが、全身の25%に三度の熱傷(やけど)を負いました。背中に火がついたまま燃えさかる車中から救い出されるとき、保孝は「あちゅい」という奏子の最後の声を聞きました。郁美の耳からは今も、追突された直後に後部座席で周子が「わぁーん!」と泣いていた声が離れません。 飲酒運転で私たち一家をこのような事故に巻き込みながら、刑事裁判の公判の際にトラック運転手は、事故の直接の原因は自分の飲酒運転ではなく、「車線変更をしようとして後ろの車に気をとられていたら、前の車にぶつかってしまった」と、今まで述べたこともない別の理由さえ挙げました。さらに「フェリーではほとんどの人が酒を飲んでいる」と何ら悪びれずに、職業運転手たちの飲酒の慣行を証言しました。 トラック運転手が私たちにあてた謝罪の手紙の中では、「狂ったような事故を起こしてしまい、すみませんでした」と、あたかもあの日1日だけ魔がさして酒を飲んでしまったかのようなことが書かれていました。しかし、私たちからみれば、トラック運転手は、あの日たまたま狂ってしまったのではなく、そもそも「寝酒」、「晩酌」と称し、運転する前に習慣として酒を飲むといった長年の行為こそが、一般常識とはかけ離れたものであり、「狂っていた」のです。私たちが求めていたのは、長年の飲酒運転癖や、事故当日、業務中にも関わらず飲酒しそのままハンドルを握ってしまったことに対する反省でしたが、最後までトラック運転手は自分の罪の本質が理解できていないようでした。 |
酒酔い運転による事故は、出会い頭の衝突事故や、わき見運転などの、いわゆる過失による交通事故とは明らかに違うと思います。運転手は、自分の意志で「お酒を飲む」ということをし、なおかつその後に「車を運転する」という2つの選択をしているのです。事故は偶然起きているわけではありません。 けれども、これまでの日本の法規では、交通事故は、飲酒運転によるものでさえも、すべてが「過失」、すなわち不注意によって起きたものとされ、加害者は刑法の「業務上過失致死傷罪」によって裁かれてきました。この罪名のもとでは、どんなに悪質でも、何人の人を死なせても、最高で懲役5年にしか処されることがありません。 お酒を飲んだうえで11トンの大型トラックを運転し、高速道路を走るという行為は、凶器をもって人ごみに突っ込んでいくのと同じです。 アメリカで飲酒運転に対する大きな意識改革を起こし、1980年の創立以来、各州で多くの法律制定に結びつけた実績を持つ、「MADD(Mothers Against Drunk Driving、飲酒運転に反対する母親の会)」の創始者である、キャンディー・ライトナーさんの言葉は、まさに私たちの心情を表わしています。 「酒を飲めば正常な運転ができないとわかっていて車に乗り、人を殺したのだから殺人である。それなのに凶器が、みんな持っている車だったと言うだけで、罪が軽いのはおかしい。これがナイフやピストルであれば、世間はもっと大騒ぎし、関心を持つのに。」 |
イギリスでも2000年、「不注意な運転」(careless driving)と、「危険な運転」(dangerous driving)とを区別して、危険な運転による事故の最高刑を、殺人罪と同じ終身刑にまで引きあげようとする法改正の動きがありました。 アメリカでも州によっては、悪質な飲酒運転死亡事故に対しては殺人罪が適用されています。例えば、2000年の7月に、悪質な飲酒事故で同乗者3人を死なせたロサンジェルスのケースでは、加害者に対して殺人一件につき懲役15年、合計懲役45年の有罪判決が言い渡されました。これは、「過失致死=不本意かつ予謀のない殺人」と、「二級殺人=特定の人ではなくても、誰かを殺すかもしれないと予測のできた殺人」とが区別され、日本でいう「過失致死」を二つに分けて考えられたためです。 このような法の違いがあることを知り、日本でも、悪質・危険な運転による事故に対して適用できる新たな法の枠組みを作ってもらいたいと私たちは思いました。 先述したMADDなどの活躍により、全米各州で飲酒運転を取り締まるたくさんの法律が制定された結果、例えば、 ・ 飲酒運転で人を死亡させた場合、10年から20年の重い刑が科される ・ 飲酒運転の車に子どもを乗せていると、罰が重くなる ・ 飲酒運転者の免許をその場で警察官が取り上げることができる ・ 飲酒運転で事故を起こした人に酒を提供した店も罰せられる など、飲酒運転に対する罰則が強化され、またそれを取り締まる警察官の権限も拡充されました。 一概に刑罰を重くすれば良いとは思いませんが、少なくとも法制度の強化のおかげで、アメリカでは1982年から1998年までの間に飲酒運転による死亡者数が全国で37%減ったそうです。 東名事故の刑事裁判でも、被害者遺族として証言した郁美は、被告人に何を望むかと裁判官に質問された時、「できることなら子どもたちを返してほしいです。お金をもらっても悲しみは消えません。運転手に唯一できるのは、自らが重い刑に処されて、このような事故を起こすとこれほど重い刑罰が下るということを、世の中の運転手たちに知らしめることぐらいではないでしょうか」と答えました。悪質・危険な運転で人を死傷させたら、通常よりはるかに重い刑罰が下るということが一般に知られるだけで、悪質な運転手たちに警鐘を鳴らし、事故を未然に防ぐことにつながることを期待したのです。 |
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「飲んで人をはねたのに、逃げたがゆえに重い刑罰が適用されないのはおかしい。法の抜け穴をふさいでください」という趣旨で遺族が始めた、「飲酒・ひき逃げ厳罰化を求める署名」、すでに18万超が法務省に提出されました。ご協力くださる方は下記から。 署名用紙のダウンロードはこちら 署名簿の送り先:〒873-0412大分県東国東郡武蔵町大字古市306 |
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